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◆◇【葵】名作鍔特集①唯一無二超絶技法!金工名家浜野在銘名人『浜野矩施』竪丸形赤銅磨地【源頼朝石橋山】図鋤出彫高彫象嵌色絵鍔◇◆ |
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二代矩隨(浜野矩施)・・・明和8年(1771年)江戸神田で、初代矩随の長男として生まれました。本姓染野松次郎。壽松軒、東龍斎と号します。天明5年(1785)十四歳の時初代 (父)に従い初め十七歳にして政方のち矩施と称し、寛政6年(1794)23歳の時、師家の後継者となりました。嘉永5年7月1日没、享年八十二歳。
金工の世界において名人に二代目は無いと言われますが、浜野の二代目矩施は名人の称号を欲しいままにしたと伝えられ、落語にもなった江戸後期、江戸末期の名工であります。
石橋山の戦い・・・平安時代末期の治承4年(1180年)に源頼朝と大庭景親ら平氏方との間で行われた戦いです。源頼朝は以仁王の令旨を奉じて挙兵し、伊豆国目代山木兼隆を襲撃して殺害するが、続く石橋山の戦いで大敗を喫しました。敗走した頼朝は山中に逃げ込み、船で安房国へ落ち延びてこの地で再挙することになります。(松明を掲げた数人の武将が、頼朝の隠れている洞の近くに迫ってきたので頼朝は太刀に手を掛けました。するとその一人が、頼朝の隠れている洞を覗きこむようにしました。目が合いましたが、男はそのまま振り返ると、いやおらぬ、足跡は向こうへ続いているぞ、急げ。と仲間を追い立てるように言い放ちました。この男こそ、後に活躍する梶原景時であります)
本作、かの有名な『源頼朝石橋山』図を描いた作品となります。
上質な赤銅の色合いは夜の様子を表現するに好適であり、写真でもご確認頂けるかと存じますが、大木の洞の中に身を潜める源頼朝らの様子を誠に見事な仕事ぶりで表現した、出来栄え/図柄構成/保存状態と三拍子揃った名鍔であります!
表面の二羽の小鳥が戯れるかのように飛んでいる様子を写実的に表現した仕事ぶりも誠に見事であり、作品にアクセントが加わり、よい良い逸品となっております!
どうぞこの機会をお見逃しなく特別な逸品としておさめて頂ければと存じます。
宜しくお願い申し上げます。
縦7.50cm 横6.90cm 厚さ0.40cm 重さ136g
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商品を厳重梱包する為、多少大きめの梱包になる場合がございますが
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ございます。
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