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サイン本美品 歌舞伎座の怪人 中村獅童自伝 売れない時代、叔父 萬屋錦之介の思い出、父の死。千尋の谷から“獅子の童”の自伝エッセイ |
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中村獅童って、こんな人だったの?
「親のないのは首のないのと同じこと」
歌舞伎界のゴッドマザーといわれた祖母(三世時蔵夫人)小川ひなに
こう言われ、役者の道を諦めるよう諭された十代の頃。
「ぼくには歌舞伎の血筋はあるけれど、後ろだてはありません」
といいながら、それでも歌舞伎への夢を諦められない獅童が、
舞台や撮影の合間に思いの丈を綴った、自伝的エッセイ。
硬派なイメージの底に隠された、素直で小さな「獅子の童」の姿に驚かされます。
売れない青春時代、一夜限りで演じた『義経千本桜』狐忠信、起死回生の『ピンポン』、叔父萬屋錦之介の思い出、そして父の死。千尋の谷から何度もはい上がった“獅子の童”の自伝エッセイ。
目次
第1章 たからもの箱・歌舞伎座と、ぼく
第2章 歌舞伎の四季
絵で楽しむ「歌舞伎座案内」あべ弘士×中村獅童
第3章 「正統派異端系」―歌舞伎の外の世界
第4章 家族、親戚、そして…
スペシャルインタビュー 萬屋の血 中村獅童ができるまで(名女方・三代目時蔵と猛妻賢母・ひなの物語;スターの系譜叔父・萬屋錦之介と中村嘉葎雄、そして中村勘三郎;獅童と獅童父と息子の三十六年)
[獅童を支える豪華な顔ぶれ]
装画:あべ弘士(「あらしのよるに」絵本作家)による描き下ろし「絵で楽しむ歌舞伎座案内」
口絵写真:篠山紀信「假名手本忠臣蔵 斧定九郎」「封印切 亀屋忠兵衛」
特別インタビュー「萬屋の血」:関容子(歌舞伎評論家)
著者秘蔵フォトも満載!
(内容)
進学した日大の芸術学部演劇コースでは「歌舞伎鑑賞」が授業の中にあり、学割チケットを求め、はるか二階の後方の客席から舞台を見つめました。しかし匂いも熱もあまりに遠く、しまいには焦れったくなり、「ああ、ぼくはここにいてはいけない」。
おとなしく座っていてはダメだ、いま自分が感じていることを舞台上で役をとおして語り、舞い、人々を感動の海に誘わねば――と、生意気にもそのとき、真剣に考えました。
そのとき、ぼくは二十一歳でした。 (第一章より)
レビューより
中村獅童さんの自伝記で、5代中村勘九郎さん18代中村勘三郎さんに初めて声を掛けて頂いた。経緯が解りました。
勘三郎さんや団十郎さんの話、お父さんやお婆様の話面白い。新歌舞伎座もオープンして、勘三郎さんや団十郎さんも亡くなり大変ですが、獅童さんには頑張ってほしい。
メモリアルとして、装幀・写真もすばらしい本
梨園の中心から外れた地点に育ちながら、今日のユニークな成功を得た獅童丈。
白塗りの映える、シンメトリの美しい、浮世絵のような歌舞伎顔で、舞台に登場するといつも目を奪われます。
自伝を一度読みたいと思い、書かれた年は少し古くなりますが、購入しました。
一般的な自伝とは少しちがい、構成が面白いです。幼いころの思い出から、祖母の薫陶で歌舞伎に志すまでを描いた章につづいて、まんなか部分に銀座のタウン誌「銀座百点」に連載された「歌舞伎の四季」の章があり、これが中心です。
12ヶ月のそれぞれに歌舞伎の演目をからめ、自分が観たり、触れたり、演じたりしたエピソードを入れ、歌舞伎入門にもなっています。ことに匂いや色に対する思い入れ、楽屋の風情などがしみじみと語られ、この人はほんとうに「劇場」「歌舞伎」が大好きなんだなということが伝わってきます。こわもてのイメージの獅童丈ですが、じつはナイーブで繊細な情をたたえた人。
後半には歌舞伎以外の映画やドラマ出演の話、家族や親戚への思いがつづられていますが、そのほかに、絵本「あらしの夜に」の絵本作家あべ弘士と組んでの歌舞伎座案内が出色です。
独特の狐忠信の絵に、現実に一度だけ忠信を演じた獅童丈の美しい写真が重なり、ありえない不思議な世界に誘われる思いがします。あべ弘士は表紙、装幀も手がけ、表紙の獅子は「獅童」丈のセルフイメージとのこと。獅子なんだけれど、童子の心がある。その名前を大事にしたい、という言葉も響きました。
祖母や両親、勘三郎丈の思いやりに加えて、友人あべ弘士のこの装幀の力も大きく、多くの写真とともに、捨てがたい一冊に仕上がっています。